2024年の秋頃だったと思う、僕はとある人と二人で食事をしていた。

仕事の付き合いで何度か顔を合わせていた人で、年齢は僕と同じくらい、業界は違うが似たような立場で会社をやっている人だった。最初の会話はだいたい「最近どうですか」から始まるのですが、その日はなぜかその挨拶を飛ばして、相手がいきなりこう言ったのです。

「長川さんのこと、正直あんまり興味ないんですよね」

え、と思った。

別に喧嘩していたわけでもない。前回会った時は普通に笑って別れたし、次に飲みに行く約束までしていたはずでした。それなのに、ノーモーションでカウンターを打ち込まれたような感覚で、僕は箸を持ったまま固まってしまった。

その後、相手は「いや、悪い意味じゃなくてですね」と続けたのですが、その後の言葉はあまり覚えていない。たぶん何かフォローのようなことを言っていたはずだが、僕の脳は最初の一文で完全にフリーズしていて、ハイハイと頷きながら会計を済ませた記憶しかない。

帰り道、タクシーの中で、僕は妙に冷静に「これは結構効いてるな」と思った。



興味がない、という言葉の不思議な暴力性

人から面と向かって「興味がない」と言われた経験が、皆さんはあるでしょうか。

僕は40を過ぎてそこそこ図太くなったつもりだったが、あの一言はやっぱり効いた。怒りでも悲しみでもなく、ただ「ああ、そうですか」という乾いた諦観が胸の真ん中にスッと落ちてくる感覚。あれは独特だと思う。

冷静に考えれば、人が人に興味を持たないのは当たり前なのです。

世の中の99%の人は僕のことを知らないし、知ろうともしていない。すれ違う人、SNSでフォローしてくれている人、取引先の担当者、みんな僕に対して基本的に「関心ゼロ」が標準設定で、そこから何かのきっかけで少しだけ関心の針が動く、ということを繰り返している。

それは別に冷たい話ではなく、ただそういう仕様なのです。僕も同じです。

ただ、その「興味がない」という標準設定を、わざわざ言語化されて手渡されると、これがなぜか刺さる。匿名の無関心は気にならないのに、名指しの無関心は痛い。人間の心は本当に不便にできていると思う。


翌朝、ちゃんと目が覚める

その日の夜、僕は家に帰って、なんとなくテレビをつけた。

ニュースでは僕の知らない誰かが、僕の知らない場所で、僕の知らない理由で揉めていた。世界は今日も平常運転で、僕一人が小さく傷ついていることなど、当然どこにも反映されていない。

そこで僕は気づくのです。

「別に何も変わらないんだ」と。

当たり前なのですが、僕が「興味がない」と言われたところで、明日の朝も太陽は昇るし、スタッフはオフィスに来るし、クライアントからメールは届くし、家賃は引き落とされる。世界は僕を中心に回っていないし、そもそも回す気もない。

そして翌朝、僕はちゃんとアイスコーヒーが飲みたくなり、いつもの時間に家を出た。

人間というのは本当によくできていて、どれだけ凹んだ日の翌朝でも、ちゃんと目は覚めるのです。これは何度か実感している事実で、たぶん人体に組み込まれた最強の自己防衛機能だと思っている。


「興味を持たれない」をずっと仕事にしてきた

ここで急に仕事の話に着地させようとしているのは僕の悪い癖ですが、書きながら気づいたことがあります。

僕の仕事って、よく考えたら「興味のない人にどう振り向いてもらうか」をひたすらやってきた仕事なんです。

LP制作にせよ、広告運用にせよ、CRM設計にせよ、その先にいるユーザーは基本的にこちらの商品に興味がない。当たり前です。今この瞬間に「ある健康食品のことが知りたくて知りたくて仕方ない」という人はほぼいない。みんな猫の動画を見たいか、明日の会議が憂鬱なだけで、こっちの商品のことなんか一ミリも考えていない。

そういう人たちに、ほんの少しだけ針を動かしてもらうために、僕らは毎日、コピーを考え、ビジュアルを練り、媒体を選び、数字を見ている。

つまり、僕はもう20年近く、「興味を持たれない」という事実とずっと向き合ってきたはずなのです。

それなのに、いざ自分が個人として「興味ない」と言われると、こんなに動揺している。なんとも情けない話だなと、書きながら笑ってしまった。


興味の総量より、深さの話

少し話を逸らします。
去年、僕は「SOCIAL PLANT WORKS」というブランドを立ち上げました。アガベや塊根植物のためのエコポットを作っているブランドで、正直に言って、めちゃくちゃニッチな世界です。
「アガベ・チタノタ・フィリグリー」と聞いて「ああ、あれね」と頷ける人は、たぶん日本に数万人もいない。塊根植物(コーデックス)の世界も同じで、街を歩いている人の99.9%は興味がないし、そもそも存在を知らない。
でも、その0.1%の人たちの熱量は、ものすごい。 ひとつの鉢を5,000円で買い、希少な株を10万円で買い、毎日水やりのタイミングを真剣に悩み、SNSに写真を上げ、仲間と語り合う。世間の興味の総量は限りなく小さいのに、関わっている人たちの興味の深さは底が抜けている。
これをやってみて、僕は改めて思うのです。 「興味がない人」をゼロにしようとするより、「深く興味を持ってくれる人」と丁寧に向き合うほうが、たぶん幸せだ、と。
これは商売の話でもあるし、人生の話でもある気がしている。
万人に好かれることはどう頑張っても無理なのだから、嫌われない努力よりも、好きでいてくれる人に応える努力をしたほうが、結局は健全に続いていく。


「選ばれ続ける理由」を仕組みにする

今年の4月、僕らは「LocalBuzz」というMEO×CRMツールをリリースしました。 ざっくり言うと、AIとLINEを使って、Googleマップの口コミを集めたり、リピーターとの関係を作ったりする、店舗向けのツールです。

このツールを設計しながら、僕が一番考えていたのは、まさに「選ばれ続けるとはどういうことか」というテーマでした。

お店の集客って、突き詰めると「興味を持ってもらう」と「興味を持ち続けてもらう」の二段階の戦いです。新しいお客さんに見つけてもらうのがMEOで、来てくれたお客さんとの関係をつないでいくのがCRM。本来この二つは別々のものとして扱われがちですが、現場で見ていると、両方が地続きでつながっていないとお店は続かない。

つまり、一度興味を持ってもらった人に、もう一度興味を持ち続けてもらうための仕組みが必要なのです。

これを作りながら、ふと思ったのです。 人間関係も結局、同じなんじゃないかと。

「興味を持たれる」のは確かに大事だが、もっと大事なのは、「興味を持ち続けてもらう関係」をどう作るか、ということ。一回会って好印象でも、その後にちゃんと記憶に残らなければ、関係は薄れて消えていく。

僕に「興味がない」と言ったあの人にも、たぶん最初は少しだけ興味を持ってもらっていたはずなのです。ただ、その先の何かを僕が積み上げられなかった。それだけの話なのかもしれません。


それでも人生はきっと続いていく

冒頭の彼とは、その後また普通に仕事の話をしています。

たぶん向こうにとっては、あの一言は本当に深い意味のないただの軽口で、傷ついていたのは僕だけで、今この瞬間も僕のことなど何も考えていない。とても健全な関係です。

長く同じ仕事をしていると、こういう小さい刺さり傷が、月に何回かは発生する。提案が刺さらない、誘いを断られる、信じていた人に離れられる、頑張った仕事が評価されない。そのたびに少しずつ凹んで、寝て、翌朝ちゃんと目が覚めて、また会社に行く。

その繰り返しが、たぶん仕事を続けるということなんだと思う。

派手な成功譚も、劇的なV字回復も、僕の日常にはあんまりない。あるのは、地味に凹んで地味に立ち直る、その細かい往復だけです。でも、その往復をちゃんと続けられている自分のことは、少しだけ誇ってもいいと思っている。

万人に興味を持ってもらわなくても、ちゃんと深く付き合ってくれる人がいる。 振り向いてもらえなかった日も、振り向き続けてくれる人がいる。 そして何より、自分が自分に興味を持ち続けてさえいれば、人生はまあまあ、なんとかなる。

そう思えるようになっただけで、40を過ぎた価値は十分にあったかもしれません。

それでも人生はきっと続いていく。 明日もちゃんと、目を覚そうと思います。


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SOCIAL PLANT WORKS®(ソーシャル プラント ワークス)は、アガベや塊根植物などの個性豊かな植物と調和するプロダクトを提案するブランドです。
環境に配慮した素材を使用したエコポット(SPW POT)や機能性とデザイン性を追求したデザイン鉢をはじめ、鉄製のアイアン台座や各種園芸ギアなど、都市と植物が共存するライフスタイルをデザインしています。

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LocalBuzz(ローカルバズ)は、集客から運営までこれ1つでサポート。店舗集客を強化することに特化したMEOツールです。

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