「大袋の中に入った個包装のチョコを食べていって、今食べたそれが最後の一個だったよ。と言われるみたいに死が知らされる。」

言い得て妙だと思った最近読んだ小説の一節ー。

GW直前、父方の祖母が鬼籍に入りました。

予め余命いくばくもない事は知らされていましたのである程度心の準備はできていましたが、やはり葬儀場へ足を運ぶと、様々な想いが込み上げてきました。ただそれが涙という形で表に出なかった、出さなかったのは年齢によるものだろうなと妙に冷静に自分を客観視していました。

僧侶は僕と同じ歳で、同じようにもみあげから髭をつなげた風体だったので、(後から聞いたら友達の友達だった)年配者の多い田舎だと色々言われそうだなぁと余計なことを思いつつも、後輩の住職はもっと田舎でDJしながら髪の毛結んでたわ、と多様性を実感。


強制的な圏外

火葬が終わるまで約2時間。

皆が集められた和室の待機部屋は、故人の話をする為だろうかたまたまなのか圏外だった。そのためメールもチャットも気にする事なくただソファに沈み、皆を遠巻きに眺めた。

その間、喪主である叔父の挨拶を反芻していた。

祖父の葬式から20年も経っているという事実に時の速さを感じつつ、自分も長男であるが故あそこに立って挨拶をする時がいずれ来るのだろうと、どこかまだ他人事として、でも確実に訪れるその時にはしっかりとした挨拶をしたいものだと、誰にともなく誓った。


できる時にできることを

一連の流れが終わり、両親との話もそこそこに高速に乗り福岡へ。

帰りの運転中、「親孝行とは」について考えた。僕の父親や父の兄である叔父たちは、母の死をどう捉えたのか。いつかやろうであっという間に時は過ぎる。元気であることが一番と親は言うが、できる時にできる事はしてあげたい。

いや、すべきだ。

今回の葬儀で後悔の念に苛まれている叔父を見て改めて強く思った。結婚している今、自分の親だけではなく妻の義母さんも含めて、できることはできる時にやろうとこれまた、誰にともなく誓った。

冒頭の一節。

あっけなく終わりは訪れる。知らされる。それは常に身近にあるということが非常に良い表現だと思った。

葬儀も重なり、より考えるキッカケにもなりました。

そして自分が終わる時、「何を残せるのか」。何か残せるような生き方を、生き様をしていきたいなとも思いました。

それは主に自分の子ども達へ向けたものにはなるだろうが、自分自身も最期に後悔がないよう毎日を過ごしていきたいです。

なんの話や。


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